結局は親に似てくる

私は今年43歳になりました。

入社して20年を超えました。それなりに感覚も擦れてしまっています。

 

まだ擦れてなかった入社当初、当時の上司はパワハラが激しく、月に300時間近く残業することもありました。今ならおかしいと分かることも、新卒の社会人なりたての頃では指示に付き従う事しかできませんでした。

 

その上司がよく言っていたのは、

理想はこうだろうが

これを目指さないでどうするんだ

そんなんじゃ正しくないだろうが

とにかく理想の姿から少しでも外れたことを言うと、全否定されました。

悔しい思いをしたことは数限りなく、「こうはなるまい」と想いました。(私の力不足が悪いのですが)

 

打ち合わせで意見を求められたり、メールで問い合わせを受けたり、部下から相談を受けたときに、

① 今どうなっているか

② 理想はどうあるべきか

③ 理想にどう近づけていけばいいか

この3つしか意識していない自分に気が付きます。

 

②の「理想」とは、

・正しい

・シンプル(分かりやすい、プロセスが簡単、手間がかからない)

・安定的(持続可能)

この3つが備わっていればおおよそ間違いがないです。(この状態を「美しい」と表現できるかもしれません)

 

この理想へのこだわりは、パワハラ上司とまったく一緒であることに最近気が付きました。塗炭の苦しみを味わわせられて反発していたのに、肝心の考え方は影響を受けているのですね。複雑な気持ちになります。

 

もちろん違う部分もあって、現状を把握するために

・現場や専門家の意見を尊重し、データ・エビデンスで裏付けを取る。であったり、

どう理想に近づけるかについては、

・現場や専門家のアイディアを最優先にする。

ところはまったく逆のアプローチだと想います。

これは、高度成長の中で何でもうまくいった世代と、氷河期に育った世代の、自信の持ち方の差なのかもしれません。パワハラ上司は自信過剰だった故に、現場を無視して意見をごり押ししたものでした。

 

これからキャリアを重ねると、もっと昔の上司の気持ちがわかるようになるのかもしれません。自分が働いているようで、自分だけで働いていないのだと感じる考察でした。

 

今日の一曲


Polysics - Memorabilia

入社当時からずっと聴いてるポリシックス。